「れんしゅう」でも「れんしゅ」でも練習になる:その違和感をどうしておくか

正しさを追求するべきか…

予測変換

通常使用している

MacBookの日本語入力は、

Google日本語入力を使用しています。

これに限らず、

近頃はどのような入力ソースでも、

予測変換が優秀になっていますね。

ほぼ考えることなく、

適切な漢字が当てられ、

文章の入力が進んでいきます。

これが、だんだんと

字が書けなくなっている理由にも

なっているのですが^^;

正しくない

試しに、

「れんしゅする」

と入力してみます(本当は「れんしゅうする」と入れたい場合です)。

すると、変換は「練習する」に。

練習は「れんしゅう」が正しく、

「れんしゅ」は、正しくありません。

それでも、

「れんしゅする」

と入力すると、

「練習する」

と変換される。

「連取する」も表示されますが、

私の使用状況では「練習する」が、先にきます。

違和感は大切に

この話、

変換したいのが「練習する」であるのならば、

別にどっちでもいい話です。

むしろ、間違っていないのなら、

そっちのほうがいいし、早い。

ただこれに、

違和感を感じることができるか

というのは大切なことだと思っています。

正しさを追求する必要はありませんが、

正しいことを知っておくこととは別の問題です。

結果も大事ですが、

プロセスも大事ということですね。

まとめ

「れんしゅう」でも「れんしゅ」でも練習になる。

その違和感をどうしておくか。

正しさを追求する必要はありませんが、

正しいことを知っておく必要はあります。

これは、

子供たちに時間をかけて伝えておきたい。

そう思っていることのひとつでもあります。

 

 

◉編集後記◉

毎年恒例になっているネコ型ロボットとその仲間たちが大活躍する映画へ。あと何年一緒に行けるやら(もうこれが最後かも?)。


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